東京大空襲・戦災資料センター

やっと行くことができました。
東京大空襲・戦災資料センター

東京に生まれ育っているくせに
東京大空襲についての資料館には
行ったことがなかったのです。
そもそも、あるのかな???でした。

東京都慰霊堂は、偶然ではあったのですが
行ったことがあります。
でも、広島の原爆資料館のような
「資料館」というような施設では
ありません。
検索してみましたら、、、、
ありましたね。
今まで気にもしなかったのが不覚!

ただ、まったく縁がなく
行ったことのない地域だったので
足が向かなかったんです。
江東区北砂
って、初めて行きました。
しかも、バスに乗る必要があります。
一番近いバス停の路線は本数が少ないそうです。
なので、二番目に近いという北砂三丁目を
目指しました。
そこから徒歩で約7分ということでしたが、、、
わからないよ~~~~!
自分がとんでもなく方向音痴だということを
忘れておりました。
しょうがないので、Googleマップのお世話になり
なんとかたどり着くことができました。
でも、地下道みたいなところとか
ここを通るなんて、Googleマップでは
わからないよ~~~~
ということで、かなりウロチョロしたあげくに
やっと到着。

東京大空遊・戦災資料センター

この資料センターができたのは
なんと!
2002年なのだそうです。
そんなに最近だったの??
証言をしてくださる方とか
遺品の展示を許してくださった方とか
間に合ってよかったですね。
そういう証言や遺品は貴重ですので
後の世に残しておかなくてはいけません。

初代館長であり作家の早乙女勝元氏の
証言映像が流れていましたが
その中で、このような資料センターを
残しておかないと
無かったことになってしまう
と語っていました。

空襲で被災した人たち(軍人軍属を除く)に
国は何の補償もしてくれなかったそうです。
全員にはとても行き届かなかったのでしょうが
それはひどい話しです。
だからこそ、無かったことになど
させてはいけないのです。

体験談はQRコードを読み込むと
全文をスマホで読むことができます。
証言映像を見ながら、読んでみますと
考えさせられることが多かったです。

どこに逃げればいいかわからないような
混乱した状態の時、
人は、他の人々が行く方向に
流されるようについて行ってしまう。
冷静になってみれば、
そちらは火の手がまわって危険なのに、
1人になるのは不安なのか
流されるままに、そちらに行ってしまう。
と、書いている方がいました。
これは、肝に銘じておきたいことです。
流されてはいけない!
のです。空襲とか災害とかだけではありません。
生き方に通じることです。

鉄筋コンクリートだし、ここなら絶対大丈夫だろう
と、学校や劇場などに逃げ込んだ人たちは
蒸し焼きになったり、
人数が多すぎて出るに出られず、焼け死んだりと
かなり犠牲になっています。
ここなら絶対に大丈夫(安泰)
なんて思ってはいけないのです。
何が起こるかわからないのですから。

あとは、朝鮮の方が、土地勘がないために
どこに逃げればいいかわからず
かなり犠牲になられたとか。
それは、今日痛感しました。
土地勘がないと、どうやって行けばいいか
あたりをつけることができない!!
(それは私が方向音痴だからですが)
やはり、ハザードマップの確認などで
備えておくことは大切ですね。