かなりのご無沙汰をいたしました。
今年初めての更新となります。
どうしても今日(3月11日)という日には
書かなくてはならない!と思ったのです
2年前のあの日。
私は出張で愛媛県の松山におりました。
ちょうど3月11日(金曜日)までで業務が終了。
翌12日に東京へ戻る予定でした。
昼過ぎに、何かちょっと揺れたような、
足元がゆっくりとずれていくような、
そんな感覚がありました。
「今の、地震だよね?私のめまいじゃないよね?」
なんて、軽口をたたいておりました。
Yahoo!のトピックスなどで、
東京や東北で地震があったことを知りました。
そんなにひどい地震が来ていたとも知らずに、
火の手があがったという記事を見て
「地震のときは火の元を確認しなきゃね~」
なんて、軽い気持ちで言っておりました。
「明日、飛行機が飛ぶかな~?」といいつつ
会社を後にいたしました。
ホテルに帰って、テレビをつけると
そこには信じられないような光景が
映っていました。
津波が押し寄せてくる!
すぐ近くに車が動いている!
動いているということは、
中に人間がいるということ。
逃げて!逃げて!
テレビの画面に向けて、
おもわず声を出していました。
これって映画のシーンじゃないよね?
何回もそう思いました。
東京の自宅に電話しても全然つながらず。
災害の時に電話がつながらない、というのは
こういうことなのか!
と思いました。
いつも通り東京にいたらいたで、
電車がとまり、家に帰れなくて
大変な思いをしていたと思います。
帰ったら帰ったで、
その夜は停電していたそうですし。
でも、なまじっか渦中の外にいると
テレビなどで映像を見れるがために
かえって気をもむこともあるのだと
わかりました。
それでも、私などは
被害がなかったのですから
幸せだったといえるでしょう。
その後の原発事故での
強制避難などのニュースに胸を痛め、
計画停電による交通マヒにいらだち、など
あのあともいろいろとありましたねぇ。
この経験によって、
人生に対する見方といいますか
心構えが違ってきたように思います。
いつ、なんどき、何が起こるかわかりません。
本当ですね。
そんなとき、どうするのか?
何ができるのか?
そして、今のうちにできることは何なのか?
本当にいろいろ考えさせられました。
改めまして
犠牲になられた方の
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
この記事で、このブログの記事が500になりました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
最近は更新さぼり気味ですが、地道にコツコツと
書き溜めていきますので、よろしくお願いいたします。