何によって憶えられたいか

来週はいよいよ行政書士の試験があります。
さすがに、勉強に集中しなきゃな、と思うのですが
ついつい、バレーボールワールドカップが気になって
テレビをつけてしまいます。
・・・で、試合につい集中してしまう・・・。
・・・一緒になって「ニッポン!ニッポン!」
とやってしまう。
いけない・・・

さて、最近「ドラッガー名言集」を
図書館で借りて読みました。

読んだというか、
本当にざっと眺めただけというか。

じっくり読めるとよかったのですが
他の本だの何だのを読んでいるうちに
返却日がせまってきたので、
流し読みしかできなかったのです。

その中で、ついつい注目してしまった
章がありました。

この最後の部分です。
「自己開発」の章に書かれていた言葉

何によって憶えられたいか

このことについて考えてしまいました。

この章に書かれていたのは、くしくも昨日書いたこと
人生のシナリオづくり
と共通したことがあって、
なんだか嬉しくなったのですが

このことを一生を通じて
自分に問いかけ続けていくことが
大事なのだそうですよ。

何によって憶えられたいか?
つまり、欧米流にいうとしたら、
墓碑銘になんと刻んでほしいか?
ということですか?
お葬式で仲の良い友人に、
「○○はこのような人でした」と弔辞を
読んでほしいということですか?

私だったら、そうですね~
「宇宙に行くことにあこがれるあまり、
あこがれた人が誰でも自由にいけるように
実際に道筋をつくってしまった人」
とか、いわれたいなぁ~。
どうすれば、そういう風に
言われるようになるんだろう??
・・・・実際に道筋をつくればいいのね(^^;

まぁ、今のところだったら、せいぜい
「整合性を愛した人」
くらいかなぁ。
しょっちゅう
「それじゃ整合性がとれないでしょ!」と
叫んでいるから(笑)
ちょっと情けないかも・・・・。

ちなみに、昨日書いた「死化粧師」で
エンバーミングの生前予約をしていた女性は、
プリザーブドフラワーをつくるのが趣味で
家でコツコツと紅い薔薇を作っていました。

いつかお嫁にいくときブーケにしようと
思っていたそうです。
使う機会がこなかったけど・・・と話す彼女を見て
エンバーマーの主人公は、棺の中の彼女を
その薔薇の花で埋めました。
そして、駆けつけてくれた会社の人たちに
1本1本その薔薇の花をあげたんです。
この薔薇も永遠。
彼女のことも永遠に忘れないでって。

私には彼女みたいに
覚えていてもらえるようなものを
何ひとつ作っていないな~って、
その時も思ったんですよね。

何か残せるといいなと思う今日この頃です。