毎年8月15日の終戦記念日あたりになると
この映画を見ます。
「東京裁判」
2枚組のDVDを買って持っています。
全編モノクロで長いですが、
実際の映像という重みを感じます。
「私は貝になりたい」でも書いたのですが、
私はこの「東京裁判」を見るまで、
A級戦犯というのは死刑になった人たちのことだ
と思っていました。
最初にTVで「東京裁判」の放映を見たときには
この被告席に座っている人たちは
全員死刑になったんだと思っていました。
それにしてはナレーションが???でしたが。
(無知ですね~)
判決のシーンはドキドキ。
ウェッブ裁判長の英語の判決を
ひとりひとり受けています。
絞首刑の人もいますが、
終身刑や禁固刑の人もいました。
そこで初めて、A級戦犯というのが
戦争を起こした国家指導者たちを対象にしている
ということを知ったのです。
(この解釈であってるのかな??)
A級戦犯で絞首刑になった人は7人いました。
その中で文官は廣田弘毅1人だけでした。
無責任ないいようではありますが
軍人が戦争責任を問われるのは
仕方がないことだと思います。
ここで軍人というのは、職業軍人のことです。
召集されて軍に入った人はまた別だと思うんです。
(「私は貝になりたい」はそんな人たちの話だから
やりきれないのです)
でも、廣田弘毅は文官。
外務大臣、総理大臣を歴任しています。
外交のプロだったのです。
軍部の専横を抑え切れなかった
というので罪に問われたようです。
「東京裁判」によると、
廣田弘毅は近しい人に
「文官で死刑になるものがいるとしたら、
自分がそれを担わねばならないだろう」
と言っていたのだそうです。
政治指導者として、戦争に突き進んでいく国家を
とめられなかったという自責の思いが
あったからなのでしょう。
いくら勧められても
決して証言台に立つことはなく、
自己弁護をしなかったそうです。
昨日、NHK「その時歴史が動いた」で
廣田弘毅を取り上げていました。
外務大臣としての廣田は、
外交の重要性をはっきりと認識しており、
軍部と対決さえしていたそうです。
でも総理になると、軍部の力を
抑えきれなくなっていきます。
番組では「時代の流れに抗いきれなかった」と
言っていました。
いくら物事の本質を見ることができても、
それをいいように生かすことができるとは限らない。
むしろ生かすことのほうが難しいのかもしれません。
時の流れというのは、1個人の力では
どうすることもできないほど、
すさまじいものなのですね。
「東京裁判」ではでていなかったのですが、
昨日の番組では廣田弘毅の減刑嘆願の署名が
行われていたのだそうです。
結局嘆願は聞き届けられなかったけれど、
廣田弘毅の生き方・その苦悩を
みなさん本当はわかっていたんだな、よかったな、
と思いました。